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ひとつひとつ進む。

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大きさの調整


ワーク後の氣になった部分のノート起こしや
シェア会報告が一段落したので自分のセッションを聞き直している。
まだノート起こしはそんなに進んでいないけど、そこの中で
私の力について話してくれていた。
そして、正直であるということも、出来事から何をどう学ぶかということも。
受けた時は、観念から派生する絶望でそこまで捉えられなかった部分が 引っ掛かってきている。
もっとちゃんと理解したい。ノート起こしを進めよう。

仕事が終わって帰ってきたらブリッジピンとピックが届いていた。
中を確認すると、エボニーと水牛角が入っていた。
…ん?牛骨を頼んだつもりでいた。ブログにもそう書いた。
注文履歴を確認したら水牛角を頼んでいた。あれれー
もともと持ってないものなので あっても困らないから
エボニーと水牛角で試してみよう。
試してみて それでも牛骨がやっぱり氣になったら その時に買おう。


コーラスの練習をしたり、録音を聞いて師の話を振り返ったりしていて
家族といる時に より意識的になってる自分を感じた。
何でもないようなこと それが愛しい。だから今 感じきる。
おぼつかなくてもひとつずつ。
父ってこんな一面があったんだ と思ったり、
家族皆との話をきちんと楽しんでるという感覚があった。

まだこれからだ。
ここから スタート。



今日の1文
「大事なことっていうのは、その状況を変えるところにない以上はね
例えば虚無であれば虚無がなんぞやって言うところを自分が理解するために
その環境を今作ってるんだとしたらね
そこんところをすっ飛ばしていくっていうのは まるで魂の目的にかなってないことになるから」

蛇足とは思いますが…
昨日の「今日の1文」は、コメント 1 が全てを表してると感じてるので
コメント 1 そのもの全てが 昨日の「今日の1文」だな と思ってます😊
(コメント 4 に一度 書いたけど、蛇足過ぎて直しました😊)
ブログって自分の文章で完結させるものだと思ってたけど、こうやってつくられるものって
面白いなぁ✨
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昨日完成したタンクトップは私でぴったり。そして脱ぎ着は私でもきつい💦
Uが着るのは大変だろうと思うので、新しく作り直すことにしました。
余分に布を買っておいてよかった。ミシンの方でも改善したい部分はあったので、作った経験を次に活かしていこう。




シェア会の録音してた聞いて、食事会の録音を聞いて
そしてまたシェア会の録音を聞いている。
メモをとりながら、ぼんやりしていたことが徐々に見えてくる。
Sに止めるように言ったことや Mへの投げ掛けを聞いていて
私にもそういうのはあるはず、私のはなんだろうって思ったときに
私へのヒーラー病の話(そういう名前をつけてシェア会では話していました)だ と思った。

母にわかってほしいと思ってた自分を見てゆくと
母にワークに行っていることを言いたいと思っている自分がいると氣付いて、そんな自分にびっくりした。
ひとつひとつの氣付きにたまらなくなって泣いているのはいつものことなので割愛。
これはどういうことなんだろう この氣持ちはどういうことなんだろう
とバシャールごっこをしていると、母は子どもにとって世界なんだ と、ふと思った。
私は世界に こういう生き方をしていきたいし、むしろ、こういう生き方をしてる!と言いたいのだと思った。

ヒーラー病の話、師への嫉妬の話とつながる。
私は師のように生きたい。

そうしたときに私はどういう風に動いていけるだろう。
それは、全体を感じて自分を感じて 自分と一緒にあることで自分自身である ということによって見えてくるのかもしれないと思った。
コーラスの練習やギターの色々をやっていくなかで、意識していこうと思う。



…これは、シェア報告だな。
いつもならシェア報告として送る内容だ💦
ブログに書いちゃった。シェア報告どうしよう。
もっと深まったものを書く…のか…?できるのか私…💦



話は変わって、シェア会の録音を聞いた後あらためて 食事会の録音を聞いた時
師の話してることが どういうことを言っているのだろう と思うところがあった。
巻き戻して聞いてもよくわからないし、一言で終わってるところもある。
もっと意識的になって、その時に聞いておけばよかった。
こういうのが、アスタラビスタベイビーなんだ。
特に氣になったのはMに何もtelegramを送らなかったというところ。
何も言わないのが助け。これは私がグループの最後に聞いた部分とつながっている。
Mの魂の望みは「自分が力を持ってるってことを理解したいんです」っていうのだからね って言ってた。

ここの力ってどういうことを言っているのだろう。
師に直接聞いてもいいけど、それでもきっと頭がわかったということになるのかもしれない。
これは多分 師が私たちに向けてくれている眼差しだと感じる。
だとしたら私が知りたい その力は、私の中にあるということになる。
師がMに向けた眼差しを指針に、私の中を探ってみようと思う。

あと、アスタラビスタベイビーについても、その出来事からとても深く大きな学びを師は得ているというのが話の中から感じられた。これは真剣に真摯に本気で向き合ってるからこそなんだと思った。
私も 仕事でも家族といるときでもシェア会でもワークでも、そういう自分でありたいと思った。



今日の1文
「」

ここで起きていることも
全て私の成長において必要だから起きている。

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しつけ糸をとって完成!できた~!だけどお願いを受けた仲間には小さいかも💦どうだろう



シェア会の後に、仕事でどうしようかなぁと思っていたことについて
こういう風にしてみたらどうかな?と案が出てきた。
家に帰ったらすっかり忘れていて、今日のシェア会の録音を聞き直していたんだけど
途中で思い出して書き留めていた。

そこで、小目標 中目標 大目標というのを引用してみた。
そしたら 大目標に、
情熱をもって取り組んだことが自分の成長につながり周りの貢献にもなっている事を自覚し行動してゆく。と書いていた。
あぁ、これは私の夢なんだなって思った。
そして、それがかなわなかった挫折感があるんだ。
だからそんなことしても何にもならないと怒っていたんだ。
報われない自分。その自分が怒っていたんだ。
知ってる やってきた けど何にもならなかった って。
多分それは色々なズレがあって できてなかったのだと思うのだけれどね。

仕事の内容に書いた大目標は私の中目標なのかもしれないな。
あとは波動上昇もそう。
大目標は霊的進化。変化。愛。
小目標は 今はギターで自分の望む音が出せるということかな。



シェア会の内容は深く広く だけど全てがつながっていて書ききれないけど
親に自分自身はこういう存在なんだということを認められたいと思っていたということに行き当たって驚いているのと同時に、揺さぶられている。
ちょっと大きいことのようで まだ感情が出ているとは言えないけど
マグマの表面を眺めている感覚がある。
シェアをまとめるまで まだ時間がある。
自分自身の在り方(全体を感じつつ自分自身であるということについて)含め、
もう少し深めて見ていこう。まだ姿を現さないマグマの自分に寄り添っていこう。

コーラスは「炭でー」と「愛にー」の音を確認できたので
(みんなありがとう!) 自分に染み込ませる。
赤トマも音をとろう。
やれることは たくさんある。




今日の1文
「楽しさにのまれないように
どこかそれを感じてる自分でクールに全体を感じて」

"なにがし"のボーカルをとるときに師に言われた言葉。
今回のコーラスも同じ。生活全般においてそれは言えるのかもしれない。

繊細に 何かが見えてきそうだから、メモのように。

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最後のミシンがけ


東京の仲間とやり取りをしていて
色々なことが わからなくなっていく。
本当は最初からわかっていなかったのかもしれない。


モールで働いているので休憩中に楽器屋さんに行ける。
ブリッジピンを何度か見に行っていて、だけどサウンドハウスで買うことにした。
エボニーと牛骨。あとピックを何個か注文した。
ギルドにはどのブリッジピンがいいのか色々調べてみた。
今付いてるのは牛骨?かな?だけどそれも買ってみた。
次のギターの時にあったらいいもんね。なんて想定してる自分がいる。

楽器屋さんには黒檀のブリッジピンがあって惹かれた。
サウンドハウスのものが届いてやってみて それでも氣になったら買ってみよう。


今は車通勤が許可されて 都会から田舎まで車を走らせる。
車の窓を開けて都会のネオンの中を井上陽水の「傘がない」を聞きながら帰ってくる。
なんだかたまらなくなって泣いた。
これは都会の歌なんだなぁ。家に近づくにつれ合わないなぁと感じた。
自分の やるせなさ 無力 惨めさ それを感じていた。
初めて自分が何もできないということを痛烈に感じた時のことを思い出していた。
社会に対して。命に対して。全てに対して。


仕事から帰ってきて 急に散歩したくなった。
夜中に散歩する。
静けさに混乱していた。
混乱を感じつつ歩いていたら、ふと 命を感じた。
言葉にうまくできないけど、自分は命の一部で周りは命で満ちている と。
この感覚でアコギを弾こう と、家に帰って小さな音で弾いた。

その後ミシンをかけて
ふと この感覚が大事なんだ と思った。この波動を信じる。



今日の1文
「変な話だけど 本当にカブトガニのサドルを作るためにアルミを切って削ってるのが
愛につながるって思ってる訳で。何をするにしたってそうなんだよ」

ブリッジピンとかやっていくなかでわかっていくかなぁ。

みた結果として進んだということだったらいいな と。

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仮縫いできました。青色のしつけ糸がなくなったので途中からピンク色です



体調がすこぶる悪くて仕事後横になって休んでいたら寝てしまい
こんな時間💦
原因はおそらくMMSと思う。
朝、今までで一番飲みにくくて、初めて 嫌だ!という感覚があった。
そしたらお腹の調子も悪くて氣持ちが悪い。
少しずつ量を増やしていたので 身体の一定範囲を越えたのかもしれない。
浄化中かな。

今日は休みます。


今日の1文
「自分の自我と一緒にいるってどういうことなのか
それが どういう風に功を奏したかってよくわからないんだけど
結果論だけで言うんだったら 多分ねMMSのおかげだと思ってるんだよね
(中略)それはみた結果としてMMSってなってる訳だから
MMSを飲んだから皆そうなるじゃないんだよ」

自分でやる。

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仮縫いあとちょっと



師たちが帰る時、相方からかけられた言葉が強く残っている。
今回まきよかったよ ちゃんと内に向いてる それがよかったんだと思う。というようなことだったと思う。
録音してた訳ではないので段々曖昧になっていくけれど、
否定性があって感じてたのに よかったってとういうことだろうという 引っ掛かり。
いい意味でね。

以前シェア会の時に氣付いたことを自分の現実でも氣付いた。
否定性がない状態が いい状態 だと思っていたということ。
だけど、それを統合しようとしてる私は それと共にあろう。
1日中 否定性があった。
落ちていると思っていたけど、感じてゆくと
ちゃんと地に足がついているという状態になれるなと思った。
モールは氣が上に上がりやすい、というか上がるようにしてある(と思ってる)。
これは元気がないのではないんだな。地に足つけて自分といる ということなんだ。


仕事中にはわからなかったけど、この否定性はさみしさだった。
ワークが終わってしまってさみしい。師が東京に帰ってしまってさみしい。
相方も仲間も近くにいなくてさみしい。

それでも自分の世界のことや自分の内側のことは
自分でやっていくんだなと思いつつ。
世界を変えるのではなくて、そこから学ぶこと感じること経験することを
最大限受け取ろう と思った。それは自分の人生を信頼することなのかもしれない。

こういうときは「傘がない」を弾きがたろうと やってみた。
さみしさが ふわっとなって、歌詞に にやりとした。
問題は今日の雨傘がない って…なんだか ふふってなる。なんでだろう😊

小樽食堂のハモりも練習してるのだけど、難しい。
私 音痴みたいで音がとれない💦
そして氣持ちが入りすぎると さらに音がどこへやらいってしまう。
全体を感じつつ どこかクールに地に足をつけて自分をコントロールするのが大切だなと思った。
まだ全然できないけど😵

そしてさらにヤバめなのが 赤トマのコーラス。
ものすごく難しい。できてる氣なってたなんて恐ろしい😱



今日の1文
「先行き例えばセラピストなりヒーラーなりっていう そういう立ち位置をね
決めたとしたらね 今やってることはもう学びの宝庫というか
後になって振り替えったら財産だよね」
今はよくわからなくても。

穴まみれ。

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仮縫いを進めていきます


仮病の件について 問答をしつつ
やはり誤魔化してる自分は氣になる。
問題にはなってないのが問題なのかもしれない。
自分の人生を生きるというスタートを切っていない感じだろうか。


職場に行ったら 色々なことが大きくガラッと変わるという話があった。
変わるタイミングは9月はじめ。8月はその調整期間。
次に向けてスムーズに移行できるように準備する。
仕事内容も私がやりたいことに一歩近づく。
腰を抜かすかと思ったほど ものすごい衝撃を受けた。
だけど 流れに沿ってる。
プレゼントは開けてみないとわからない。
自分がどうしていくのかが大切だ。

仕事の後に実家に寄った。
ザルの目のような 見えてなさコントロールできてなさに愕然とした。
無力からくる学歴誇示的な流れになっていた。
途中 父から帰るよう催促がありその話は止まった。

そしてギターを弾く。コーラスの音をとってみる。
全然わからない。何をいい音と感じるのか わからない。
コーラスも音がとれない。
今の自分が崖っぷちな氣がしてくる。崖っぷちなのかもしれない。



「ここが人生の節目です」という言葉を聞いた。
全体をみる。
ギターを弾く その音に全身を研ぎ澄ませる。
無力を見つけたとき 新しい自分というのは?




今日の1文
「だけど波動の原理でいうんだったら だからこそ
そんなことをしてる場合なんだっていうさ」
波動が上がるといあのは どういうことを指しているのだろう。

グループワークにて

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仮縫いしていきます



否定性が出ていて、その自分を消すのでなく
だからといって その自分で動くのでなく一緒にいて
グループワークの流れの中から氣付いたり理解が深まっておさまって

帰りに相方Mに
今回本当によかったよって言われて
自分では否定性が出てて感じてたから よかったかわからないって思ってたけど
それだからよかったのかもって、自分にちゃんと向いてるっていうところが
そういう風に出ていたのかもしれないと言われて ちょっとびっくり。
Mが「綺麗」という言葉に戸惑ってたのと同じような感覚だなと思った。

食事会で師が言っていた
そういうことこそ探求すべき話なんじゃないのという言葉を受けて振り替える。

そして明日のことも内なるバシャールと問答する。
何が怖いのか、どうなるのが嫌なのか。
何故私は今回この行動をしたのか。

師への嫉妬の件も
どれもちょっと時間をとってみないとと思いながら
でももう寝たほうがいいな。


今回の全てのワークを終えて
私が思っていた方向と師が言わんとしていることが大分ずれていたことがわかった。
どこかで現状を大きく変える何かを期待していた自分を認め方向を変えるということを意識した。
現状から学ぶ。その全体を信頼し、向き合うこと受け入れること。そして波動を上げていくこと。
それが現実に反映されていくということ。だからギターの音にこだわるということ。
そういう一連を意識しながらギターの話を聞き、弾いていた。
これを 日常でやっていこう。



今日の1文
「でも結局のところは自分がまだそれをやっていない
あるいはそれに対して明確な行動をとっていないってことに
実は怒ってるんだよ」

蝋人形の館です。

思ってたのと全然違った。まだ愛とは現状がよくなることと思ってた。
それを期待していた。

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くるんでいきます



同席から帰ってきて、氣なった所をノート起こししてる。
聞いていた時はわかったような氣になっていたけれど
これってどういうことなんだろうって思った。

カブトガニ(ベース)のサドルを作るためにアルミを切って削ってるのが愛につながる。
何をするにしたってそう。一貫性があるっていうのはそういうこと。
…どういうこと…?

今回の自分のセッションで絶望したっていうのとか
その後出てきた師への怒りとか ひねくれとかそういうのが出るのは
宇宙的な愛がわかってない ちゃんと見つけてないという部分からなのだと思った。

絶望とか怒りとかひねくれとかをちゃんと感じる。
それは昔 母が言っていたことだ。あの時の母を想う。あの時の自分を想う。
グレそうだからそうならないように仕事を休んで同席したけど
もうとっくにグレて傲慢になっていたんだ。

私の世界において私がやっていくのだということから
私は どうしたいのか をきちんと自分に問う。

それを見つけるために何らかの関係が必要だとしても
そうでない中で見つけるにしても
私は 見つけたいと思った。私はそれを望む。



今日の1文
「だから愛を自分が強く信じれるか信じれないかの違いであって
どっかでね だからね まきに対してはね それがすごくオレは強く感じるんだよ
まだちゃんと見つけてないんだってね」

昨日と今日で 2回聞いたのには理由があるね。

愛を感じつつ絶望している。

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丁寧に全部切り込みを入れていきます


絶望してる。

自分のセッションの時、始めから泣きそうになっていて
マスクをして遠いと感じてるのかと思って外してみた。
それでもある この感覚はなんだろうと見ながら受けていた。

どこかが理解し吸収しようとしていて どこかがすごく眠かった。
思考じゃないところで何かを受け取ろうとしてた。

K子のセッションを聞いていて理解した。
私は絶望していたんだ。
助けてはもらえない。自分でやっていかなければいけない。その事に。
そしてそれは私が本当に望んでいたことでもあると
私の中のどこかは理解していた。
愛してるのに 相手はどうでもいいという感覚じゃないと伝わらない という師の言葉。
絶望しつつ大きな愛を感じていた。
そして孤独を感じた。

それを自分のセッションでも感じていて わかるまでタイムラグがあったんだな。
K子のセッションを聞きながら泣いた。私がやっていくんだ。
最近の師からのtelegramやコメントに、すごく反応してる自分は
どこかで助けてもらえる期待感があったのかもしれない。


私は信頼してほしかった 愛してほしかった。
だけど本当にそれが目の前に差し出されると絶望している。
皮肉だなと思う。観念がそこにはあるのだとも思う。
愛というのは助けるものだという観念だと思う。それは第三密度的で情的だね。
だけど師から差し出されたものは 私が本当に求めた愛だとわかる。

自分自身でやるというのは そうなんだと理解してるつもりだった。
だけどどこかで大きく ここにいれば救われる と思っていたのだな。
まだ整理がつかないけど
大きなものが壊れた蝋人形は蝋人形の館でゆっくり休むことにします。



今日の1文
「だからそれってパワーだと思う
自分で自分をコントロールできるっていうのは」

旗をふってくれる師の愛を想う。