FC2ブログ

存在感の薄さ。

IMG_20171108_194045.jpg
あむ

存在感というと、存在感があるとか存在感を主張するとかそんなイメージだけど、本当の存在感って私自身が私はここにいるとしっかりと感じていることなんだなってわかった。
存在感を主張するのは、自分自身が自分はここにいると感じられいかその感覚が薄いからなのだろう。

ずっとずっと傷ついていて、これは失恋の痛みだとか色々考えてきたけど、それは根本の原因のひとつの現れにすぎなかったんだ。
外に見える原因がなくなってもずっと傷ついていて、それは何故だろうって考えていると、そんなことに気づいていった。

で、外から離れていこうとするのは自分であるということにも。

自分がそうであったことも自分がそうしていたこともかなりショックです。よ。

わかったふりして、表面的な現象にちょちょっと対応していただけだった。

存在感

DSC_0738.jpg
あむ

今日はすごくたくさん大切なことがごちゃごちゃ出てきて大きく繋がった気付きがあったこと思うとまた迷宮に入ったりする。
ありのままを受け止める。ということにつながっていると思う。

まなざし

DSC_0737.jpg
あむ

前のセッションから中島みゆき本人や地上の星について考えています。
色々な発見があったけれど、つばめは何の象徴だろうということや、この詩が書ける人となりとはどういうものなのかどういう心なのかということがわからないままでした。

今日、久しぶりに何も予定のない休みで、最近音沙汰であったギターを弾いてみました。
久しぶりに「世界に二人だけ」を弾きながら歌ったとき、この歌の主人公の相手への愛情を感じたと同時に痛みや切なさや惨めさも感じました。それらを感じながら歌っていると、ふと もしかしたらこれはそのありようすべてを包んでいる歌なのかもしれないと思いました。
叶わぬ恋の痛みや切なさや惨めさ。それでも二人だけになりたいと願う気持ち。相手はそれでも振り向かない事実。そのすべてを、そのありようすべてを むやみに責めずに 自分の気持ちも相手の気持ちもあるがまま受け止めている。そんな視点から歌っているのかもしれないと思いました。
前までは、女の悲恋だーと自分に重ねてのまれてた(^^;

そんなことに気づいたとき、つばめってもしかしたら 見守るものであり 見送るものであるのかもしれないなって思いました。その存在が確かにあって、それは中島みゆきなのかもしれないと思いました。

中島みゆきのまなざしなのかもしれないなぁ。と。

ギターで地上の星をなんとか弾いたとき、何故この音を使ったのだろうと不思議に思いました。
もっとわかってくることがあるかもしれません。

あー私だ。

DSC_0736.jpg
あむ

あーイライラしてた相手に見てたのは私だ。もー(´Λ`)

編み物教室やることになりそうです(*´ω`*)

眠い。

DSC_0735.jpg
眠くてもあむ

満月だからかなー。眠い眠い。

こういうことができたら楽しいだろうなぁということが できることやそういうことが起こることが私の存在を認めることではないのだな。とわかった。
私の好きなことでそれが誰かの役に立つことによって私の存在を認めるということではないのだな。
私の存在はあるのだ。認められており、存在しているのだ。それが嬉しくて楽しい思いの原点だ。

否定的な出来事も肯定的な出来事も、それによって自分を認めることはしない。それによって自分の存在感を感じようとしない。
私たちは何かによって認められるのではないから。
ただただ認められているのだから。

眠い眠い
おやすみなさい