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客観性のないドラマ

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あむ。これでポーチを作りたくなってきた

仕事をはじめてすぐ、重いエネルギーが出てきて、泣きたくなっていた。

重いエネルギーを思考を止めて感じるということを 時間の取れるときにはずっとしていても全然うまくいかない。
休憩中も集中してやったけど全然うまくいかない。
だけど、その時に その重いエネルギーはみじめさで、自分はそれを 恋の切なさと思っていたことに気づき、びっくりした。
「もっとみじめさを経験するのが必要なのかわからないけれど」ということを師匠が言っていて、みじめという言葉にピンと来てなかったのはこのせいだ。みじめをみじめと捉えていないかった。みじめを恋の切なさと捉え、人を好きになるときに感じるものはこれだと捉えていた自分が、それを止めようとしてるときにグラグラ揺れていたのだ。
そりゃ変でみじめな恋もするわいな。
そしてそれを甘美なドラマに脳内変換して、その苦しみを全て相手のせいにして、恨みを飛ばしているんだな。クワバラクワバラ。

ドラマにはまって、実際がみえずに
本当はみじめなのに、美化してしまっていた。

私は外の物事を実際より良く見積もってしまいがちだ。
そして、自分のことになるとめっぽう否定しがちだ。
このアンバランスさはなんだろう?



帰ってから横になって
思考を止めてみじめさを感じようと試みた。
思考が止まらずうまくいかない。
もはや歌も流れず、りーんという音を言うこともなく、ただドラマを展開させたり みじめだみじめだみじめだみじめだと叫んでいたりした。
そういう叫びを聞くことが受け入れる感じることだと思ってたけど…思考じゃないか!となり、
言葉に変換された思考ではなくて、エネルギーそのものを感じようと試みる。

分断させていたんだと 全然受け入れてなかったんだと気づいたとき、その重いエネルギーと私を分断させていた壁がゆるみ、エネルギーがゆっくりと霧散する感覚があった。
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登竜門

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