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とっちらかってるものを ひとつひとつ手にとって。

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バイアスの端を閉じて輪にします


今日は私が仕事に行っていた日の仲間のセッションの録音を聞きました。I のはまだ途中だけど。
何をどう書けばいいのか。手探り。
直接言われてはないからどうしようかとも思ったけど
セッションを聞いて 書かないのも変だなと思って。
自分のブログを読み返して その時の自分を思い出して
今感じること 見えてくることを ちゃんと見て。
まだとっちらかってるけど。

自分じゃなくてよかったと感じている自分のことをブログに書いた時のことを思い出す。
底知れぬ恐怖や不安が出ていた時だった。
Mに見ていたのは 親にワークのことを言った時の自分だった。Mが怖かった。
そして今ワークのことを言うとどうなるんだろうという部分も反映していた。
昔 ワークのことを言って、出てけと言われて家を出たこと。
その時に感じ切れなかった恐怖。それを感じた。
あんなこと起こらない方がよかったと思ってる自分がいることに氣づいた。

あれがあって家を出たから 実質的に自立を促されたし自分を少しずつ立て直せたと思ってて、
それはそれで本当なのだけど、頭の部分での認識だったなと。
本当はすごく怖くてしかたがなくて何かにすがりたくて不安で 震えてる自分がいた。
あの時初めて ひとり になってゆこうとしたのだと思う。


話の中にあったような傲慢な自分もいたのかもしれない。
傲慢な部分は見てきつつある(多分まだうまくいってない部分もあると思う)けど、
虚無感を根っこに持ってるというのは今回の私のセッションで光があたった部分。
そこから出る傲慢についてを考える。
今までは何か出来事があると傲慢だと認識するに留まっていたけど、傲慢って何だろうって思った。
傲慢というものをより理解したい。


家を出たとき 私の古い何か大きな部分に何かが起こったのだと思う。
その時の自分に愛を送る。
そうしてゆくと ふわりと、あれがあってよかったとまではいかないけど
そういうものだったのかなと、方法や言い争いはめちゃくちゃだったけど
それをそのままニュートラルに見ていられそうな氣がした。
そうした時、Mはすごいな って感じた。


そして、
今 親にワークのことを言うか言わないかということを問題にするより、虚無感についてと
今の親との関係を良好に感じていて、それが壊れるのが怖いと思ってる自分を見てゆくのが大切なのかなと思う。
そこは傲慢にも繋がってるだろう。
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