FC2ブログ

関係性

IMG_20200702_235204.jpg
直して縫ったら生地がよれてしまって、原因は身ごろ布よりバイアス布の方が短いということが判明。なんとなく氣付いてたけど。直すことにしてほどき、再度仮縫いからです。



疲れがどーっと出て、デジタルシェア会以外は寝ていた。
デジタルシェア会で みんなの話を聞いたり母の話をしたり
その時にみんなでした瞑想を通して見えてきたことがある。

瞑想では 母との共依存の波動を認識し
その後、外から男の人の怒鳴り声が聞こえた。
その出来事には意味があると思い呼吸を続けながら見ていった。
その怒鳴り声は 反抗期の頃の私の声と同じだった。
その時の自分を思い出すと わぁぁといたたまれない氣持ちになるけれど
その背景に想いを馳せる。
何もないということにもがいていた。
やりたいこともない なぜここにいるのかもわからない
何がしたいのかもわからない。だけど進路だけは決めろと迫ってくる何かがあって
周りはやりたいことを見つけて動き出しているなか、何もないと言えなかった。
外側も内側も どうしていいかもわからなかった。ただ ぽっかり穴があいていた。

その時の自分を見て、母は不安だったのだろうと思った。
今 私が母に見てるのはその時の自分だ。

自我との折り合いがつかなくて どうしていいかわからなくて不安でしかたがなくて怖くて。
その母を見て、私は不安だった。怖かった。無力を感じた。

無力ってどういうことなんだろうと思う。
私は誰かの 心の中の穴を何とかすることはできない。
それは無力なことだ。だけど それが自分を責める方向に向くときは何か別のものが働いてる氣がする。
自分の中の虚無感との関わりの問題だろうか。
私は虚無感に対して変えないといけないと思ってるのだろうか。常にキラキラした状態でなければいけないと。
そういう部分から無力を感じているのだろうか。そして 諦めも。報われない氣持ちも。

まだ よくわからないけれど
それでも今日感じたのは、
母に虚無感を抱えた自分を見ているのなら
自分の中の虚無感との関係が そのまま母との関係に反映れているのだろうから
自分を見て感じて 虚無感との関わりを フラットなものにしてゆくことが大切だなって思った。

だって、あの時だって私は守られていた。
目に見える存在からも、目に見えない存在からも。

スポンサーサイト



丁寧に、繊細に。

まなざしと姿勢

comment iconコメント ( 0 )

コメントの投稿