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ハートに熱さを感じる。

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反対の袖口のバイアスにとりかかります



私は弟のお嫁さんを信頼してないんだな と、昨日ブログを書いた後に思った。
信頼する とは、どういうことだったかな。
やってない できてない と思ってるのは、信頼してない自分が見る世界だ。
お嫁さんの全てを知っている訳ではないんだよなと思いながら
ママの子育てツイッターを読みつつ考える。

職場で、昔の自分をみてるスタッフに 怒りが出ることがあった。
これはお嫁さんに出たのと一緒だな と思ってみてゆく。
そしたら、怒りをどうにかしようとすることで抑圧してることに氣付いた。
父に見てるものは私だなと。これだな と。
これは方向が違うな と、怒りをそのまま受け止める方向に変えた。
怒りが向くものも怒りも含めて私の責任だ と捉える。
そうしたときに、「できない 」ということを強く否定していると氣付いた。
氣付いた瞬間に腰が痛くなって、だけど歩き方も穏やかになり呼吸も深くなった。

辞めていった方の話を思い出していた。
彼女は できない ということが どうしても認められなかったと師は言っていた。
今見てる部分はそうだな と思って声を聞いてゆくと、
昔の自分を消したいと当時も思っていたこと、それでもその自分を認めてしまったら
今まで頑張ってきた自分はどうなるんだと抵抗していること、そしてその奥には
すごく惨めでどうしようもない思いがあった。虚無感と言っていいと思う。

仕事からの帰路、その自分をそのまま感じて
消えないよ私の中で一部として存在し続けるよという想いで向き合っていると
ふと、未来の自分なら 家族や弟夫婦に次会ったとき、どういう自分でいるかなと思った。
そして、自分自身でいよう と思った。

そうは思っても自分自身ってなんだろう。
師は ワークでなにげない話が多くなってきているけど、自分自身でいるということを
自粛期間中にやってきたから それをそのまま体現すればいいと思ってるというようなことを言っていた。
(と、思う。ちゃんとまた聞き返せれてないけど)
ひとつのチャレンジとして それを意識しようと思った。



そして、実家に寄ったら弟家族がいた。
皆で御飯を食べることになった。
お嫁さんを判断する氣持ちも否定する感覚もなかった。
ただ、今朝 私が寝坊してびっくりしてめちゃバタバタしたという話をした。
(や、朝起きて時計見たとき、本氣で何が起こったのかわからなかった😵)
私 色々できないんだよ😅


実家から家に帰ってきて、東京演奏会の音割れしてない動画のシェアがあった。
1音1音の音が玉のように感じられて それぞれの楽器の音がちゃんと聴こえて
その玉が合わさってた。皆の動きからも音楽の呼吸を感じた。
一体。
私もこういう風に合わせたい。と思った。
それは ひとりではできないことだ。それぞれの音があって呼吸してる。
多分、家族での何かもそうなんだ と思った。
それぞれがそれぞれであることで織り成される何かによって 私たちは成長してゆける。
ひとりであるときに、私たちはひとりではない。
そして それはひとりではできない。
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真っ暗な穴

何を見落としてるのだろう。

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