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日々の日常の全てがワーク

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くるんで仮縫いしていきます



今朝、師の相方とtelegramしつつシェアをまとめていた。
何回もシェアを聞いて、自分や世界を見て書いてゆく。
見えなかったこと、否、見えないふりしてたことが浮かび上がってきた。

母と第三密度的愛情。
私は母を失うことを怖れている。

シェアを聞き進めていく。Kが息子さんを失うということに感情が出ていた。
私の周りで母を亡くしたという方が2人いる。
久しぶりに会って何故か私が泣きそうになったのも そのうちの1人だ。
今朝 母が職場に送っていってくれた。
その時の会話で生き急いでるということを母は言っていた。
来年で母の母(私のおばあちゃん)が亡くなった年齢になるという。

どうして氣付かなかったのかと びっくりするほどピースが揃っている。
私が見たくなかったのは、母(大切な存在)を失う かなしみ 無力感 絶望 それらだった。
仕事中 かなしみが出ていた。母を亡くしたという方と話をした。
病名は 私のおじいちゃん(母方)と同じだった。おじいちゃんが亡くなった時の衝撃を思い出していた。
大好きだったおじいちゃん。

かなしみや痛みを感じていたとき、どこかで私はダメだという声がしていた。
今までは 私が悪い子だからいなくなってしまったという観念からの声だと思ってたけど
これは その観念も含めて深い悲しみや無力感や絶望をカモフラージュするものだと氣付いた。
感じるべきところは 奥にある。

夜の瞑想で その出てる悲しみにフォーカスした。
すると 保健室の先生になりたいと言っていた頃や看護大に行ったこと
スピリチュアルに傾倒したこと全てが 大切な人をを失わないためのことだと
はっきりと自覚し、それでいて全てが上手くいかず 強烈な無力感と絶望が出てきた。
どんなことをしても 母はいつか死んでしまうのだ。

時を止めたかった。それは変化を止めたかったと同意だ。
全ては失われつつある。そう思っていた。

瞑想中、私は身体がその人だと信じてんるだなと思った。
今 私はおじいちゃんのことを思うと 大好きったなって大好きだなっていう感覚が出てくる。
母とのそれも いつかそうなってゆくのだろうか。
今までの虚無感は 入り口への案内に過ぎなかったように感じる。
ここから入っていく。



仕事後、実家に寄ったとき 父と母と一緒にした会話やその場そのものが
多分 未来の私の大切な 時々のぞく場所みたいになる氣がした。


追記:
今、母に死に至る決定的な病気はないです。
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虚無

誤魔化してたのは私だー

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